自身のポケモン遍歴を紹介しようと思います〜
今回は、『幼少期〜小学校低学年』編!
幼少期とポケモン
1996年2月にポケモン赤緑が発売されました。
私はその少し前の1995年に生まれています。
学年は今日ポケのいろはさんの1つ上にあたります。
以前今日ポケch.にて、いろはさんが自身の歴史を
ポケモンの歩みとともに紹介されていましたが、
私もほとんど同じ歩みをしてきました。
※NARUTOにドハマりするのも全く同じ!!
↓↓動画のリンクはこちら↓↓
幼稚園時代はアニメに熱中していましたね。
他にも、
と、そんなことをしていた日々でした。
自分の記憶が定かであれば、ポケモンセンターで
子供向けにポケモンカードの講習会みたいなのが
開かれていて親に連れて行ってもらってました。
嘘だったらごめんなさい。
小学生とポケモン
小学生になって学習机を買ってもらいました。
その学習机はポケモンパンで集めたシールで
埋め尽くされていました。
学習机で勉強した記憶はないですが、
学習机でポケモンと戯れていた記憶は残っています。
また、1or2年生の時に姉と共用という制約の元で
ゲームボーイアドバンスを手に入れました。
姉が「ルビーが欲しい!」というので
私はサファイアを買ってもらいました。
後に映画などでグラードンのカッコよさに気付き、
姉に嫉妬の念を覚えたのを記憶しています。
↑思い出のルビー・サファイア・エメラルド
秘密基地をかなり複雑な仕組みにして
友達を困らせることに命をかけていましたねぇ。
トドグラー事件
たしか小学2年生の頃ですかね。
友達から借りていたトドグラーを間違えて
逃がす or 他の友達に交換してしまい紛失しました。
そしてその友達は担任のおばあちゃん先生に
「私のポケモンを〇〇君が返してくれない」と
訴え始めました。
人のポケモンを取ったら泥棒!
もちろん私が100%悪いですね。
ただ、この問題は想像よりも大きくなっていきます。
先生は私に「借りたものは返しなさい」と言いますが
友達が育てた友達が親名のトドグラーを
用意するのは不可能だと先生に必死に伝えます。
おばあちゃん先生は、
「借りたものそのものが返せないなら
他のトドグラーとやらを用意しなさい」
といいます。なので、
「ごめんね、他のトドグラーでいいかな?」
と友達に提案しますが、
「私の育てたトドグラーを返してほしいの」
と、もちろん友達は納得してくれません。
友達の反応は至極当然です。
愛情を持ってそのトドグラーを育てたのですから。
ただ、それを見かねたおばあちゃん先生が
(得体の知れない)トドグラーとやらを
どうにかして自分に用意させてに返させるために
自分の親を呼び出して三者面談がはじまりました。
www
まさか、親が呼び出されるとは思ってなかったです。
親はポケモンの交換システムを理解しており
「息子が無くしたことはとても悪いことですが、
ゲーム内キャラクターのデータなので
現実のものを貸し借りしたわけではなく
もう返すことができないのです。」
と伝えてくれますが、先生は理解できずに
「友達の要求するトドグラーを必ず用意すること」
という難題を押し付けて三者面談は終了しました。
これ、ホントの話ですよ。笑
それからというもの、、、
私は放課後にその友達のルビサファを借りて
ひたすらトドグラーを育てて上げてあげるという
なんとも不思議な関係が続きましたとさ。
後日談
月日は流れ、、、
私は大学生になり、小学校の同窓会に参加しました。
小学校時代の懐かしい思い出話に花が咲く中、
その友達が遅れて参加しました。
久しぶりにその友達見た瞬間、
心の奥底に眠っていたトドグラー事件を思い出し、
紛失に対する謝罪の念が溢れかえってきました。
いのいちにトドグラー事件について謝ると
なんと友達は微塵も覚えていなかったようです。
まぁ、そんなもんですよね。笑
トドグラーについては覚えていなかったようですが
私と一緒によくポケモンを遊んでいた事は
うっすらと覚えてくれていたようでした。
友達の中では楽しい思い出として残っていました。
それが分かって、妙に嬉しかったなぁ。。。
終わりに
みなさんもポケモン交換にはご注意を!
人からもらったポケモンは大事にしましょう。
仲間と共にしたポケ活は
必ず良い思い出として記憶に残る!
次回、小学校高学年〜中学生編。
〜〜終〜〜